【映画 感想】砂の器 デジタルリマスター版




砂の器 デジタルリマスター版

1974年に公開された映画、『砂の器』のデジタルリマスター版。原盤を見たことがないので、映像や音声がどれほど改善されているのかは分からないが、台詞の聞き取りづらい箇所がいくつかあった、というのが正直な感想。
発声法が現在のそれとは微妙に違うのだろうか。今だったら使わないような、台詞の言い回しなども関係しているのかもしれない。
もしくは、その頃の機材と、現在のものとでは、映像や音声の精度に差が出るのは当然なのかも。
どれにしても、素人の私が、一人で考えようが、想像の範疇を超えることはない。しかしながら、「聞き取りづらい箇所があった」という、一素人の率直な意見があることは、揺るがない事実だ。
当たり前だが、デジタルリマスターと言えど、限界があるのだろう。
とは言え、もしかして、原盤を観てみたら、前述した意見を撤回することになるかもしれない。何にせよ想像でしかないので、誰か、原盤とリマスター版のどちらも観たという方は、感想を教えてください。恐らく、自分では観ないと思うので、はなから他力本願です。

あらすじとしては、謎に包まれた殺人事件を解決すべく、2人の刑事が奔走する、というもの。
被害者の身元すら分からず、手掛かりが極端に少ない故、捜査は難航。
事件の裏には濃密な人間ドラマがあり、それらをひとつひとつ、真摯に紐解いていくと、その先に待ち構えていたのは、一人の男の壮絶な生い立ちだった。

正直、展開としては、テンポ良く進んでいくとは言い難い。まあ、それもそのはずで、現在のように、スマホや高性能のPC(パソコン)などは無い訳で、例えば、いずれの情報を洗うにも、「紙ベース」は必至。捜査を行うにあたっても、酷使するのはもっぱら、自らの「足」である。
作中で警察車両をほとんど登場させないのは、電車や汽車を強調させるためなのだろうか。
ゆっくりと、落ち着いた時間の中で、登場人物たちが、物語りをしっかりと紡いでいく、という印象だ。
まるで早送りをしているかのように、狂ったように進んでいく現在の世の中は、つい最近まで、こういう、ゆったりとしたテンポだったのだ、と感慨深くなってしまう。

個人的には、本作は、140分の中で前編と後編が、きっちりと分かれている印象。
あまり詳細に書きすぎるとネタバレになってしまうので、大まかにだが、前半が「捜査編」で、後半が、捜査結果を付随して進行していく「回想編」とでも言えば良いだろうか。
この、回想が壮絶で、「ああ、なるほどな、それでこの人は、こんな風に…」と、観る人を妙に納得させてしまうパワーがあって、言うなれば、捜査編は前置きで、回想編が本編、ぐらいに感じてしまう。
何というか、捜査編は、人によっては少し煩雑に感じられるかもしれないが、回想編でそれらを挽回してしまう力を持っている。
「我慢して」とまでは言わないが、前半でだれてしまっても、回想編まで観てみる価値はあるのではないだろうか、と思う。

ストーリーとは関係ないが、自分が生まれる10年ほど前の日本を、人々の様子を、本作を通してありありと感じられることができるのは、新鮮だった。
囲炉裏に鉄瓶で湯を沸かし、そして、柄杓で急須に注ぐ、というような具合に、何気なくお茶を入れるシーンにも感心してしまった。「お茶を入れる」というと、どうしても私は、先ず、ポットやヤカンを思い浮かべてしまう故に、軽くショックだった。

このくらいの年代の邦画を観たのは久しぶりで、最後に観たのは、覚えている限りでは、確か中学生の頃。18年くらい前。
多感な時期に『でんきくらげ』と『しびれくらげ』を鼻息荒くしながら観ていた記憶がある。思えば、映画を進んで観るようになったのは、所謂「濡れ場」が目的だった。思春期には良くある話だろう。
本作に濡れ場は無いが、何というか、出演している女優陣が皆、艶かしくて参ってしまう。
これは、その時代が持つ特有の雰囲気なのか、それとも、彼女たちが元来持っている才能なのか。
もちろん、俳優陣も色気を丸出しにして演技に臨んでいる。彼ら、彼女らが纏う匂いまで伝わってきそうな、良い意味での「人間らしさ」を感じることが出来るだろう。

映画『砂の器』の原作は、松本清張の長編小説。ウィキペディアで調べてみたら、映画には登場しない人物たちが名を連ねていた。こうなると、小説の方も気になってしまう。
現在、読み進めている本が何冊かあるので、いつになるかは分からないが、小説『砂の器』の世界にも、いつか足を運べたらと思う。

砂の器 デジタルリマスター版

砂の器 デジタルリマスター版

  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: Prime Video