SFサスペンスだと思って観た『散歩する侵略者』が純愛映画だった




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とりあえず月額が発生しているので、何もしないのは勿体ない。ということで、暇があればプライム特典の無料映画を漁っています。

今回は、公開時にCMを見て気になっていた『散歩する侵略者』を観たので、備忘録的に感想を残しておこうと思います。

 

 

以下からネタバレあり。

 

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数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う加瀬鳴海。夫・真治は会社を辞め、毎日散歩に出かけていく。一体何をしているのか…?その頃、町では一家惨殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発する。ジャーナリストの桜井は取材中、天野という謎の若者に出会い、二人は事件の鍵を握る女子高校生・立花あきらの行方を探し始める。やがて町は静かに不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く。「地球を侵略しに来た」真治から衝撃の告白を受ける鳴海。当たり前の日常は、ある日突然終わりを告げる。

 

本作を見終えた率直な感想としては、「純粋な恋愛映画だった」というもの。信治と鳴海の冷え切った夫婦関係が修復されていく、純愛映画だと思ったのだ。

ともすれば、夫婦関係というものは、時間の経過と共に、希薄になりがちだ。以前の信治と鳴海の関係も、例に漏れず、冷め切っていたことが物語序盤での鳴海の態度から見て取れる。

しかしながら、宇宙人と一体となった信治は、鳴海に無垢な愛情を注ぐようになり、そして、初めは戸惑っていたものの、鳴海もまた、生まれ変わった信治に愛を見出した。
信治と鳴海は、思い出をそのままにして、新しく愛を育んだのだ。

宇宙人と化した信治は、それ以前の彼とは別の生き物になった、リセットされた、とも捉えられる故、鳴海との関係もまた一新されて当然だと思うかもしれないが、実はそうではない。

彼が宇宙人と記憶を徐々に共有していくことで、信治にとっての鳴海、さらに言えば、鳴海にとっての信治が、全くの別ものになった訳ではなく、前述の通り、記憶(思い出)をそのままにして、お互いの関係をまた新たに築いたこととなる。

小さくなった石鹸に、新しい石鹸を継ぎ足して、大きなひとつにするように。今まで使ってきた石鹸が消えてしまったのではなく、一体化して、ひとつとなったのだ。

鳴海が言い放った「私の理想の信ちゃんになって」という旨のセリフ通り、彼女が描く理想の信治へと変貌したとも言えよう。その証拠に、人類の危機が迫った際に、鳴海が呟いた「これからだと思ったのに」という諦めきれない想いが、それを物語っている。

物語の序盤で、信治の浮気が語られるように、以前には薄れていたであろう、鳴海に対する純粋な想いを、新たな信治が手に入れることの出来た、たったひとつの理由がある。

それは、「地球人が持っている数多の概念を、侵略者が備えていなかった」ことだ。
他人を想う気持ちというもの自体を、全く持っていなかったところに、「家族」そして、「所有」という概念が入ることで、彼の中に、純度の高い「妻を想う気持ち」が出来上がったのだ。

とは言え、それは、言うなれば、形骸的なもので、人類はそこに、「愛」があるからして、完全になる。例え、不純物が多いにしろ、愛があるのと無いのとでは、0と1ほどの差異が生まれよう。

彼の中で、鳴海への想いが完成したのは、クライマックスである、地球への侵略が始まった直後の出来事(信治が鳴海の愛の概念を奪った)による。捉え方によっては、鳴海の自棄(私には彼女の愛情そのもののようにも感じられた)とも言える行動が、完全なる信治を生み、そして、その副産物として、人類が救われたのだ。

結果的には、ハッピーエンドとは言えないものの、バッドエンドでもない。信治が愛の概念を手に入れた代わりに、鳴海のそれがそっくりそのまま消えてしまった。そこに希望を見出すとすれば、信治が人間らしく(?)なったことと、鳴海が絶命していないことだろう。

端的に言ってしまえば、宇宙人だろうが人類だろうが、そんなものはそれほど大きな問題ではなかったのだ。問題は、愛という概念がそこにあるかどうか、だろう。

その他の人類にとって侵略は、重大な出来事なのかもしれないが、鳴海と信治、この2人にとっては、夫婦関係を、そして、愛という概念を咀嚼する、ひとつのイベントに過ぎなかった。

乱暴な言い方になってしまうが、信治以外の侵略者たちは、鳴海と信治の関係を引き立てる脇役の存在でしかなかったと言える。

個人的にグッときたシーンというか、描写というか、鳴海が信治の正体(宇宙人)に気付いても特別驚く訳でもなく、それまで通りに、むしろ好意的に接するところに、胸が躍る。これは、桜井が天野と接する際にも言えることだが、こういった、日常の中に何食わぬ顔で溶け込む「非日常」の描写が堪らなく好きだ。

私にとって、そういったものに触れる時が「映画っていいな」と思える瞬間のひとつでもある。