くるまやラーメンのスープに溶け込んだ少年時代10年分の偏執




30余年生きてきて初めて『くるまやラーメン』に行ったかもしれない。“かもしれない” と書いたのはもしかしたら幼少の頃、両親や親族に連れられて訪れている可能性が無いとは言い切れないから。しかしながら、少なくとも我が大脳皮質に暖簾をくぐった事実は格納されていない。

幼少期から思春期の10年ほどを過ごした場所の近所にはくるまやラーメンの店舗があった。幾度か引っ越しをしたが、それでも店から遠く離れることは無かった。当時は気が付かなかったが、もしかしたら両親は家の場所を決める際、くるまやラーメンを基準にしていた可能性もある。

店舗直近に住んでいたのは6歳頃から15歳くらいまでの10年。日数にすると3650日。時間で87600時間。さらに言うと、5256000分。つまるところ、3億秒のうち、1秒としてくるまやラーメンの床を踏むことは無かった。

徒歩5分ほどの場所に何故、1度も足を運ばなかったのか。多分、それは単純にくるまやラーメンを「舐めていたから」だと思う。本当に申し訳ないんだけど、店名に始まり、看板や丼に印刷された字体、洗練されているとは言い難い店構え、そのどれを取っても食指が動くことはなかった。

さらに、その当時は、今みたいにネットを検索すれば大概のことが分かっちゃうような時代ではない。つまり、入店前にメニューを確認することが困難だった。そこに「舐めている」という要素が加わることで「所詮はインスタントラーメンに毛が生えた程度だろう」といった、何の根拠も無い結論に至る。今思えば出鱈目だが、足を遠のかせるには十分過ぎる理由だったのだろう。

そんなワンパク極まりない少年時代から20年ほど経過して、くるまやラーメンという字面さえ忘れかけていた先日、妻の実家で夕飯をどうしようかと決め兼ねている時だった。「行ってみたい」という義母の一声であっけなく初くるまやラーメンが実現する運びとなる。デニーズやジョナサンのようなファミレスではなく、くるまやラーメン。お義母さんのそういうところ、凄く良いと思う。好きだ。

さて、ここで冒頭の画像を今一度確認してほしい。食器と言う食器全てに「くるまやラーメン」の文字が印刷されているが、そこは敢えて突っ込まないでいいだろう(れんげの持ち手にまで)。画像は今回、実際に食したメニュー(味噌チャーシュー 5枚)なのだが、インスタントラーメンに毛が生えた程度の要素が皆無だということは、一目瞭然だ。先ず、謝りたい。くるまやラーメン様すみませんでした。

そして、鎮座するラーメンのすぐ脇、純白に輝くは半ライス。これ、無料。ラーメンを注文するとサービスとのことで狂喜乱舞。くるまやラーメン様、本当にこの度は申し訳ありませんでした。

来店する前に一応ネットでメニューを下調べしていたのだが、どんぶりが眼前に置かれた瞬間、負けたと思った。良い意味で期待を裏切られた。公式ホームページの画像サイズが小さくて良く分からなかったので、実物はもっと何て言うか、しょぼいのだろうと踏んでいた。

www.kurumayaramen.co.jp

既に私の負けは確定しているようなものだが、手を付けないで帰ったら作った人が可哀想だし、しょうがないからとりあえず食べてみることにした。

それはもう、完敗中の完敗。ひょろひょろのもやしっ子に意気揚々とケンカを挑んでみたものの、実際には空手有段者でフルボッコにされる、みたいな。飛んできた正拳突きの重さに「こんなはずでは…」と呟きながらノックアウト、みたいな。

しっかりと、ずっしりと感じられるにんにくと味噌の風味。固すぎず柔らかすぎない、ちょうどいい歯ごたえの縮れた太麺。濃厚なスープに良く合うもやし。ただ1点、チャーシューはもう少しとろとろになっているほうが好みだったが、差し引いても頭が上がらないし、箸は進むし。

写真には撮り忘れたが、ちゃっかり餃子も注文している。これぞ餃子!と言わんばかりの王道なお味でライスとの相性は抜群。

うまいうまいと言いながらラーメンとライス、餃子を貪るように平らげてしまった。途中、うまいの発声と麺を啜るタイミングが被ってしまって軽くパニックになるくらいには予想外だった。濃厚スープにはあの頃、10年間で培った偏執も溶け込んでいたのだろう。素晴らしい出会いを与えてくれたお義母さんには感謝をしてもしきれない。この場を借りてありがとうございますと言いたい。あと、直接会った時も言う。

いま住んでいる場所は店舗までほんの少し距離がある。それでも近々、また足を運びたいと思っている。

最後にあの頃の自分にドヤ顔で言ってやりたい

「一回食べたほうがいいよ、マジで」